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失敗とラーメンの連続

【適応障害と躁鬱】新卒6ヶ月で会社辞めた話

はじめに

いつも怠惰ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は僕が新卒1年目の時に起きた出来事を書いていきます。
良かったら他のブログも見てやってください。
サウナで『ととのう』はずが、う○こ漏らした話 - 怠惰なブログ

原因

新卒入社でとあるインバウンド向けのホテルに正社員として、入社した。
とにかく実家から早く出て、自立したいと考えていた僕は

カッコイイ

仕事してたら英語話せそう

こんな理由でホテルへの就職を決めた。
僕は入社1ヶ月前からワクワクしていた。

新しい家、新しい街、初めての仕事、おしゃれでカッコイイホテルマンの仕事

期待に胸を踊らせながら4月を迎えた。
入社して、5ヶ月間はホテル内の色んな部署を回って研修を行い、本人の希望と適性を見て本配属が決まるという流れだった。

1ヶ月目は、客室管理という部署に仮配属された。
この部署は宿泊しているお客様の部屋の準備や後片付けやメンテナンスを行うところだった。
そこでの仕事は楽しかった。先輩は優しいし、残業も特に無く、遅くても19時には上がることができた。

2ヶ月目は、中華料理のホールスタッフだった。
ここから、少しずつ歯車が狂い出してくる。
初めての飲食店での仕事だったといえば、言い訳に聞こえるかもしれないが
他の新卒に比べても明らかに遅れをとっていた。
全然仕事が出来なかった。
常に周りの状況を把握して、動き続けなければいけない。
先輩から飛んでくる叱責。
頭がパニックだった。
言われていることが理解しようにも入ってこない。
この頃から仕事に行くのが億劫になっていた。
仕事の一時間にもなると、無気力になっていた。
でもその部署の先輩は厳しくも優しく温かみがあったのでなんとか乗り越えられた。

3、4ヶ月目はカフェバイキングのホールスタッフだった。
ここでメンタルが完全に決壊した。
ここでの仕事は中華料理のホールをうわ回る過激さだった。
とにかく人が足りない
泊まり勤務というものがあり、

14時〜21時勤務
ホテル内に泊まりこみ
翌朝のバイキングの準備が始まる6時から出勤
14時のランチ終了まで働く。

泊まる場所もホテル内の宿泊部屋ではなく、従業員用の寝室があるのだが、そこの布団がとにかく臭い。
シャワーも浴びず、制服のまま、布団に入ったりする人がいるものだから食品臭がすごい。
仕事を忘れて安眠など出来ん!!
そこで仕方なくマットが敷いてあるロッカールームで一夜を過ごす2ヶ月だった。
僕自身経験は無かったが、直属の先輩は通しと呼ばれる奴隷制度を行っていることがあった。
泊まり勤務は通常14時には終わるのだが、そこから19時まで働くのだ。
人間辞めてるとしか思えない。
ただでさえ、普通の泊まり勤務で24時間は太陽の下に出られないというのに…。
勤務形態で自律神経が狂ったことも原因の一つだが、もう一つの大きな要因がフリーターのTさんである。
仕事が出来ない僕も悪いのだが、この人の指導が厳しすぎる。
厳しいというよりは、当たられている。
人を小馬鹿にしたような挨拶、返事、喋り方、言葉使い。
歴がやたらと長いTさんは、先輩社員が新人だった頃にTさんから指導を受けていたため、従順である。
そしてある日、相変わらずミスを連発していた僕は、ホールスタッフ全員がつけているインカムでTさんにこう言われた。

こ○すぞ

殺害予告である。
僕は涙を堪えながら言った。

はい

何かが欠落していくのがわかった。
それからというもの出勤で使っている地下鉄のホームで電車を待っている間、
Twitterで『新卒辞めた』と検索して、仕事を辞めたい思っている自分を肯定するかのような日々が続く。
休みの日も
倦怠感、趣味が楽しくなく、いつも何かに見られているような感覚に襲われ緊張状態でした。
ネットでこのような症状について調べると、躁鬱や適応障害という聴き慣れない言葉の羅列が多くあった。
何回やったかわからない。鬱診断。
いっそ病院に行って鬱と診断され、楽になりたい自分。
心の病に自分がかかっているという事実を受け入れたくない。
色んな感情が渦巻く中、心療内科へと足を進めた。

辞める決意

診断結果は

適応障害 躁鬱病

そこから3ヶ月休職期間が始まりました。
始まってすぐ、親がうちに様子を見に来ました。
その時に親の前で泣き崩れました。
少しスッキリしました。

貯金を切り崩しながら、ダラダラと過ごす日々が始まりました。
週に一回通院して薬をもらい、家でゴロゴロ。
休職期間に入った途端、常に襲っていた不安感は無くなっていました。
環境の影響の大きさに気付かされた。

休職期間1、2ヶ月目は先のことなど全く考えず、ダラダラと過ごしてきたが3ヶ月目に入ると、あと1ヶ月でまたあの職場に戻らなければいけないと考えると億劫だった。
また戻ったところで、同じことの繰り返しだろうし、死んでもバイキングでは働きたくないし、なんなら中華もハードで嫌だ。
そうなると辞めるか、客室管理への配属である。
人事の方が気を利かせてくれて、復帰した時は客室管理への本配属を決めていてくれた。
客室管理にいる先輩方はとても温かく、僕が休職した時もいち早く連絡してきてくれた。
そこで働けるなら、やっていけるかもと考えた。
でも辞めることにした。
明確な理由はいまだにわからないけど。
戻っても周りの目が気になると思っていた部分もあるだろう。
そもそもあの建物に入ること自体がトラウマになっていたかもしれない。
とにかく辞めた。
3ヶ月の休職期間の終了と同時に退職をし、新卒を終えた。

辞めてから

辞めてからさらに3ヶ月ほどは、日雇いのバイトなどをしながらダラダラと過ごしていた。
そして現在は、あの時飲食で活躍できなかったトラウマを払拭しようとでも思ったのか飲食店で働いている。
また病みそうになりながらも、勤続4年目に突入した。

元々メンタルは強い方ではなく、環境の変化への適応能力があるわけでもなかった。
縁もゆかりもないと思っていた精神疾患を患い、健康であることがいかに尊いか気付かされた。
失ってみないと、ありがたみはわからないものだ。
失うのは怖いけど、失うことで得られるものがあるなら、どんどん突っ走っていきたい。